虹の彼方展を終えての日



「ユーモアのある日常と見たい風景と光景」


ぼくにとっての日常は、

職業が写真家だからという理由で、毎日写真を撮ったりしているのではないと思う。


ぼくはまず、写真はみんなのモノと考える。


おもしろい出来事や、かわいい赤ちゃん。めずらしい形の流木や、

見たことのないゴリラなんかいたら、みんな絶対に写真撮るでしょ。

家族や仲間の思い出写真にしても、ひとり旅の風景にしても。


どんな場所にいても、今、ほとんどの人が、なんらかのカタチで、

そこに自分が「見たモノ」、「いたこと」を写真に残すようになった。

これ、ぼくにとってもあたりまえの日常なのね。


すると、写真っていうのは不思議なもので、

その写真を撮って確認をすることで、その時には気がつかなかったモノが

たくさん写っていたりする。


肉眼で見ていた世界とはまた違った、写真空間がある。


日常にはどんな場面にも、自分を含めた物語が存在していて、

これは、目にはみえないことがモノと同時に同居した、時間空間なんだということがわかる。


写真っていうのは、そもそも、そういった独立した力を持っていて、

誰にでも撮れたり、起こったりするからみんなのモノだと思うのね。


それから、ぼくにとっての心の健康法というか、自分を勇気づける一番の方法は、

「いい写真を撮る」っていうことだったりする。

もっというと、「いい写真が撮れた時」なのね。


これは、過去に「みたモノ」と「ここにいたこと」への自己確認であるのと同時に、

自分がみたいと思った想いが素敵に写っているからなの。


そうして残された、いい写真であり、はじめて見た現場での記憶は、

のちに決定的なイメージとして、永遠に見たい風景や光景を創造するようになる。


近頃は、よく部屋を掃除するようになった。

そして、植物を育て、水草水槽なんていう、水草や石で風景を見立てる水景画にハマっている。

植物や自然って、どういう仕組みによって光合成したり、繁茂したりするのか?なんかを

勉強したりしながら、ぼくの日常とはまた違った時間軸で生活する生き物と向かい合っている。


水槽の中には、想い描いたつくられた自然がある。

すると、自分が「イメージする生きた風景」と「今ここにいる」という時間。

このふたつの時間を同居させるべく、写真にするという行為が実にたのしい。


じっとモノと向かい合う。10分、20分。。見続けると、

なんらかの発見があり、変化に気づく。


それで、写真を撮ったら、「はい、おしまい」ではなく、

この神秘的とも思える感覚をもう少しぼくの日常に持ち込むことで、

あらたに気づくモノの本質を表現にしたいという気持ちになった。


そして、これらは、ぼくの見たかった風景や光景です。

目に見えなかったり、どうしたって言葉にならない想いによってつくられた名場面。


(府中市美術館、展覧会カタログに掲載のためのテキスト)



ところで水草は?
というと、

「水草水槽」も「うし」も、部屋の中で毎日冒険をしているかのよう。
ぼくはその姿をじっと、観察すると飯が何杯もうまくなる気がする。w

お風呂のお湯をためる水を、じ〜〜〜と眺めて、満杯になるとしらせてくれるうし。
戸棚やクローゼットの中を開けると必ず毎回見ようとし、
当然、音や臭いに敏感で、わずかな変化に気付きながらも、いつもどん欲な姿勢でいる。
水槽の中の生態も同じで、わずかな変化でその表情を毎日変えていく。

この時間と日常が、どうやらおもしろい。

展覧会、ご来場頂いた方、応援してくれた方。
ほんとうにありがとうございました。

また、次、がんばります!どうぞよろしくおねがいします!

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